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明治大学将棋研究会OB列伝

清水上徹 1999年入学・アマ名人・アマ竜王・朝日アマ名人・アマ王将・学生名人・学生王将・全国オール学生優勝・アマGC・平成最強・東京チャンピオン・王座戦全勝・関東新人王など
 明大将研の歴史を変えた男の一人。というよりは、アマ棋界史に残る強豪と言ったほうがいいかもしれない。小学生名人・中学生名人・中学生選抜・高校竜王・高文連新人戦優勝といった棋歴をひっさげて入学し、1年の春に早速学名決勝に進出した。また、団体戦での勝率も非常に高かった。学生王座戦優勝時の主将でもある。四年の秋には、学生将棋史上初となる、学生名人・学生王将・オール学生の三冠完全制覇を成し遂げて卒業した。
 小学校から大学・さらに一般大会までの全階級制覇は史上初である。今後、この記録を破る人は出現するのだろうか?卒業後も各大会で優勝を重ねている。アマ全国大会全種目制覇も時間の問題だろう。対プロ戦の勝ち星も多く、第3回朝日杯では4人のプロを撃破し、史上初となるアマチュアによるプロ棋戦一次予選通過を達成した。

藤井佳久 1999年入学・学生王将・関東学生名人・王座戦全勝・朝日アマ名人ベスト8など
 明大将研の歴史を変えた男の一人。2001年冬には、明大将研史上4人目の全国制覇者となった。また、記録の残る限りでは、明大将研史上初の関東学生名人でもある。主将・幹事長などはやらなかったが、部の運営の貢献度も高く、明大将研OnLineを立ち上げた。2002年の朝日オープンでは中尾四段に勝ち、2回戦の木村六段(当時)戦でも破れはしたがトッププロ相手に健闘。観戦していたプロ棋士にも強いと言わしめた。

斉藤雅弘 1999年入学・全国オール学生ベスト4など

 別名・斉藤D。明大将研の歴史を変えた男の一人。タイトル獲得こそならなかったものの、安定した実力で、王座戦優勝をはじめ、各大会でチームに貢献した。また、豊富な人脈を誇り、彼の部屋「D邸」は、明治のみならず、さまざまな将棋関係者が訪れる場所となった。その存在感の高さはかなりのものがある。今後も、OB会のみならず、アマ棋界でその実力・存在感を発揮することが期待されている。

上田正彦 1999年入学
 強力すぎる同期の影で目立たなかったが、着実に力をつけ、レギュラーを獲得し、4年の王座戦では東大相手にも勝利を挙げた。幹事長の仕事も手堅くこなしていた。また、社団戦の出席率も高く、特に明治SAKIURAでは貴重なポイントゲッターとして、何度もチームに貢献した。
 現在は、OB会の現場副責任者として、水井と二人でOBチームを対局・運営の双方で支えている。
植田崇志 1999年入学
 こちらは「うえた」と読む。その外見から「おっさん」と呼ばれていた。確かに「おっさん」らしい趣味も多いが、実は音楽にたけていて、ギター・歌とも優れた技量を持っている。人柄もよく、後輩にもいろいろと慕われていたようだ。

伊藤享史 2000年入学・関東学生名人・アマ準王将・アマ名人ベスト4・学生選手権優勝・平成最強東京優勝・王座戦全勝・関東新人王など
 明大将研の歴史を変えた男の一人。明大明治中学に入っていた事もあり、当時から活動に参加し、その時既にオール明治のポイントゲッターだった。そして入学後も期待にたがわぬ活躍をした。選抜トーナメントで不振だったが、その時に「最低でも全勝」と宣言し、見事公約を実行して王座戦優勝に貢献した。

白田大地 2000年入学
 2001年王座戦で実質的な決勝となった立命館大戦において4勝目を挙げた。
 入学時から貫禄があり、実年齢よりかなり上に間違えられた事も少なくない。また、一人称が「わし」だったり、遊び将棋で奇妙な戦法を指すなど、いろいろな意味で個性的。運営のほうでは、関東幹事として活躍した。

松下顕士 2000年入学

 淡々とした語り口の真面目な男で、会計などの業務をこなした。将棋のほうも、同世代があまりにも強すぎてついにレギュラーにはなれなかったが、安定した実力には定評があった。一方、「松下亜弥」なる芸を持つなど、ユニークな面もあるらしい。

藤巻隆男 2000年入学
 「地蔵」の異名を持つ無口な男。駿河台時代は、群馬の奥から自宅通学をしていた。部誌の編集長も勤めた。

町田和也 2001年入学・関東凖名人
 入学時はさほど目立たない存在だったが、強力な先輩たちに鍛えられたためか棋力が急上昇。得意の中飛車に磨きをかけ、3年の春に関東学生名人戦の決勝に進出した。在学中、社団戦で人が足りないとき、当日に電話してもなんとか都合をつけて来てくれた。

小暮晃成 2001年入学
 入学時は同じ生田在籍の町田と同格のような位置づけだったが、その後、実績で差をついてしまった。しかし、独特のペースで安定した実力を発揮し、長きにわたってチームに貢献した。
今花暢(旧姓・原田) 2001年入学・関東女流名人・全国学生女流3位
 入学した春、いきなり関東女流名人になるという鮮烈なデビューを飾った。その後も、熱心な努力を重ね、タイトルこそは届かなかったが、毎回女流棋戦で活躍した。また、運営にも熱心で、サイト管理・部誌編集長を務めた。
 卒業後も、公式戦で女流プロに勝つなど活躍している。そして、慶応OB(ただし、在学中の明治の活動参加率は下手な明大生よりずっと高かった)の今克之氏と結婚した。

藤田大樹 2001年入学

 独特の感覚を持つ居飛車党。同期の中で最初にリーグ戦に出場するなど、入学時は後の関東準名人となる町田たちと競い合っていた。しかし、学業に追われ、後半はほとんど活動に参加することはなかった。しかし、念願の合格を果たし、大会に参加すると宣言した。
 現在は、社団戦・OB戦ともほぼ10割の出席率を誇り、社団戦の団体個人戦で優勝するなど活躍している。

新野 進 2001年入学
 将研の運営に対する熱意は相当なもので、盤駒係・部誌編集長などで活躍した。将棋のほうは、楽しむという感覚で接していたようだ。できればOB会の運営にも携わってほしいものだ。また、アニメにも造詣が深い。

石橋 謙一 2002年入学
 幹事長を務めた。入学時には地獄名人を取るほどだったが、途中休会期間があったにも関わらず、棋力は着実に向上。4年秋の選抜トーナメントでは2連勝した。

中沢 弘 2002年入学
 関東幹事を務めた。その独特のキャラクターと対局風景はかなりの存在感があった。

前田哲伸 2003年入学

 主将としてチームを引っ張った。また、その振り飛車で大学のリーグ戦のみならず、社団戦でも貴重な勝星をたくさん挙げてくれた。卒業後は外食産業に就職とのことで、かなり忙しい生活を送っている。しかしながら、たまの休みには大会に顔を出してくれた。

三上匡史 2003年入学

 入学が決定した直後から活動に参加し、付属出身を除けば史上最も早い入会となった。即戦力と期待され、4年間チームを支える存在になるかと思われたが、あまり参加率が高くなく、古新戦に出ることもあった。できれば、在学中の分も社団戦などで活躍してほしいものだ。

菅谷頼嗣 2003年入学

 幹事長を務めた。棋力のほうも着実に進歩し、リーグ戦はもちろん、社団戦にも積極的に参加。特に3-3で残った必敗型を大逆転した将棋は今でも語りぐさである。今後も、選手・運営ともどもOB会での活躍が期待される。

青柳中 2003年入学

 千葉の成田から遠距離通学を続けていた。独特の人柄で帽子がトレードマーク。あと、安南将棋を得意としていた。

中村健彦 2003年入学

 地獄名人を三期取り、宮治以来の永世称号を獲得した。ただ、その後、宮治のようなブレイクができなかったのは残念だった。

高梨考司 2003年入学・関東新人王

 高校時代から全国大会で活躍し、入学後も早速、新人戦で優勝し、エースとして期待された。しかし、一年修了後に、上智大学に再入学する事となり、明治大学を去ることになってしまった。
 ただ、その後も明大将研との交流は持ち続け、四年の時からオール明治に参加。一部残留の戦力として活躍した。そして、卒業後も明治で出場してくれている。

羽染敬規 2004年入学

 現役中は、主将を始め各役職につき、対局・運営の双方で将研を支えた。2006年の選抜トーナメント決勝進出の際にも、選手のみならず、まとめ役として頑張っていた印象が強い。
 卒業後も、OB会の全行事に出席するなど、相変らず熱心に活動していた。そして、2012年より社団戦で3チーム目となる「チーム桜上水 of meiji」を立ち上げ、参加即昇級、という快挙を成し遂げた。
 今後の明大将研OB会を支えていく人として、各世代から大いに期待されている。

小澤正幸 2004年入学・支部対抗戦団体優勝

 一年からレギュラーとして活躍した。学生時代から一般大会にも積極的に参加し、支部対抗戦の東日本大会で団体優勝した実績を持つ。もちろん、在学中から社団戦の出席率も高かった。
 卒業後は大学院に進み、研究で忙しい生活を送っている中、社団戦にも顔を出してくれた。

岡村慎治 2004年入学

 入学以来、着実に力をつけてレギュラーに定着した。2006年の秋から選抜トーナメントでも、高勝率を挙げ、チームの決勝進出に貢献した。
 また、在学中から社団戦に出場。「夢の対決」となった、明治SAKIURA対沖電気一軍戦では、自ら志願して大将で出場し、相手チームのエース兼・自チームの象徴的存在である崎浦氏に快勝した。
 卒業後は、不規則な仕事につき、なかなか日曜も休めないそうだが、ぜひまた参加してほしいものである。

白田秀明 2004年入学

 同姓の王座戦優勝メンバーがいるため、白田Bと呼ばれていた。しかし、外見も性格も「A」とは全く似ていなかった。
 黙々と関東幹事の仕事をしていた印象が強い。。A級リーグでは前関東名人に勝った事もある。
 卒業後も大会にそこそこ参加しており、今後が期待されていた。
 2015年1月28日逝去。

平林靖博 2004年入学

 平B(略称ヒラビー)と呼ばれていた。といっても別に、「平林A」がいるわけでなく、「ヒラバヤシ」の「バヤシ」が[B」に転化したためこの呼名となった。
 在学中は会誌である「雨の雁木坂」編集長を三年ほど勤めていた。また、会のサイトにはブログを連載していた。それらの趣味・実績を活かし、地元のマスコミ関係に就職をした。
 リーグ戦での勝率は高くなかったが、強豪相手に善戦することも多く、チームの4-3に貢献する白星を挙げた事もあった。
 卒業後は、故郷の福井に戻ったが、「チーム桜上水 of meiji」を羽染とともに立ち上げ、遠路はるばる社団戦に参加している。

橋爪智宏 2004年入学

 「ホット氏」の通称を持つ四間飛車党。部室の冷房機設置において、大いに貢献した。

蓑田太郎 2004年入学

 部室の清掃に力を入れ、合宿中も自室を常に清潔に保っていた。また、時間厳守など、日常生活においても、その性格は好評だった。

朝倉義晶 2004年入学

 合宿の常識テストで連覇を経験した事もあるほど教養が高い。後半はあまり試合に来なかったが、人が足りない日に来て、チームに貢献したこともあった。

星進太郎 2005年入学・関東オール学生3位

 主将としてチームを支えた。また、団体戦でも勝負強く、リーグ戦はもちろん、社団戦でも貴重な白星を挙げた。
 道場にも足繁く通っており、交友関係も広い。また、明大将研歴代でもかなり上位に入る巨漢でもある。

山岡大介 2005年入学

 奨励会出身で、1年から春の団体戦(BT)で全勝、秋は個人戦でベスト16まで進出、合宿の天国地獄名人戦でも天国名人3連覇するなど実力を発揮。ただ、結果的に大会出場が少なかったのが非常に残念だ。将棋は、「終盤の山岡ここにあり」と言われるように、元奨らしく終盤型の将棋が特徴的であった。

小川拓人 2005年入学

 幹事長として運営に活躍した。その後、休会して試験勉強に励み、見事国家一種に合格した。

古川貴文 2005年入学

 研究熱心で、棋譜並べや研究会開催を行い、着実に棋力を上げ、四年の秋にレギュラーを獲得した。

松浦翼 2005年入学

 古川とともに研究に励んでいた。会計として運営に活躍した。また、新歓用という事で、将研の事を題材にした新聞を作成するという、ユニークな一面もあった。2009年逝去。