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明治大学将棋研究会OB列伝

丸野亮一 2006年入学

 帰国子女という経歴を持つ彼は、1年から活動参加率が高く、責任感の強さを買われて、2年で幹事長、3年で主将を務めた。将棋の方も2年秋から団体戦レギュラーに定着し、居飛車メインの将棋を磨き、4年春の個人戦では強豪を破ってベスト32まで進んだ。また、古川を中心とした「古研」の2代目会長でもある。就職も無事に決まり、今後、OB会を支える人物の一人としての活躍が期待されるところである。

宮本慎也 2006年入学

 某球団の内野手と同姓同名の彼は、将研の飲み会で足を骨折したまま明け方のボウリングに参加するといった、飲み会や合宿などのイベントでの伝説をいろいろ持っている。バイトが忙しく、活動参加はあまり多くなかったが、石田流など振り飛車を駆使した将棋で、古新戦だけでなくA級の団体戦にも出場した。

脇田和樹 2006年入学

 宮本と同様、飲み会でのはしゃぎっぷりが非常に印象に残っている彼である。活動参加が少なかった分を取り返すべく、イベントで貢献してくれた。大企業への就職をしっかりと決めたので、今後のOBとしての活動にも期待したいところである。

冨樫昌弘 2006年入学

 活動に正式参加したのは2年からであったが、その後の参加率は非常に高く、レグスペを駆使した攻め将棋で、団体戦での勝利経験もある。澄川とともに将研を代表して上海の将棋大会に出場したり、ウィーンへ留学するなど、将研随一の国際派である。また、高級住宅街在住という噂もあり、謎に包まれている点も多い。

田辺健太 2006年入学

 2年から活動に参加し、いきなり団体戦に出場して超強豪と対峙した。その後も活動によく参加し、団体戦でも勝利を挙げた。居飛車と振り飛車を使い分ける、器用な研究家である。農学部に在籍した「生田民」であり、現在の生田キャンパスにおける「生田研」の創始者としての功績は大きい。また、某竜王に似ているという評判でも知られている。

中野翔太 2007年入学

 1年からレギュラーとして活躍し、3年の時に主将を務めた。イケメンで将棋が強いということで、多くの後輩から羨望の眼差しを集めた。将棋は正統派の居飛車党で、団体戦でもきっちりと白星を重ねた。また、ギャンブル好きでも知られ、パチスロ通いを趣味にしており、負けては金が無いと嘆いている様子が非常に印象的であった。

澄川達也 2007年入学

 2年で幹事長を務め、明大将研を公認サークルにすることと、一定の活動費の確保を見事に成功させた。将棋は居飛車の正統派で、A級の団体戦でも勝利を挙げた。また、自転車でロサンゼルスやヨーロッパを1人でツーリングしたり、明大前の駅前で他のサークルの輩と「戦う」など、非常に熱い一面がある男でもある。

益原彬則 2007年入学

 入学時は体重100キロを超える巨漢で、とても18歳とは思えない風貌が印象的であった。将棋は振り飛車穴熊を得意とし、団体戦でも勝利を挙げた。大会では竜をタダで取られて絶叫するなど多くの逸話を残している。また、飲み会でもその体格通り良く飲み良く食べ、かなり先輩からの恩恵を受けたはずである。就職も決めたので、OBとしてその借りを返しに活動に参加することが大いに期待される。

岸野亮 2007年入学

 2年から活動に参加し、正統派の居飛車党として着実に力をつけていった。途中からレギュラーに定着し、強い後輩の加入による追い上げも受けたが、団体戦でも通算で勝ち越した。忙しい4年になっても参加率が衰えず、生田でも和泉でも積極的に顔を出す彼は、後輩からの人望も厚い。安定した就職を決め、OBとしての活躍も大いに期待される。

大岩駿介 2007年入学・アマ竜王代表・アマ王将代表・朝日アマ代表・赤旗名人代表・学生名人戦3位(3年連続出場)など

 将棋部のない東京外語大から3年の時に明大将研に加入。高校以来将棋を離れていたと言いつつ、いきなり関東個人戦で4位になり、一躍将研のエース格に。団体戦に出せないことを惜しまれつつも、その棋力をさらに伸ばし、4年(正確には5年)の学生名人戦で見事3位になった。「将棋大好き人間」で、活動にも熱心に参加し、将研全体の棋力底上げ、そして団体戦A級昇級・定着へ導いたのは、彼の加入のおかげといっても過言ではない。
 卒業後はオール明治の主将に就任。2014年の社団戦は絶妙な采配と自身の14勝1敗という好成績により、チームを9年ぶりの1部に導いた。

大塚貴弘 2008年入学

 同学年の部員が次々に辞めていく大変な状況の中、色々な思いもあっただろうが、黙々と仕事をこなす姿が印象的であった。また、2-3年次は関東幹事としても運営に貢献した。将棋は本格派の居飛車党で、急戦を得意とする。特に4五歩早仕掛けの戦型は吉田と何十局も指したようだ。飲み会では普段と比べかなり饒舌になる。

小原秀郎 2009年入学

 非常に粘り強い棋風の振り飛車党で、(自称)ハマの受け師。1年秋団体戦は不調に苦しみ、打ち上げの席で(同期の山岸らがドンちゃん騒ぎする中)一人悔し涙を流した。しかし1年後の団体戦、勝てば数年ぶりのA級復帰が決まる一戦で、3-3で残ったプレッシャーの中で見事に勝ち切ったことは記憶に新しい。その後も度々4-3勝ちを演出する勝負強さを見せつけた。

川上剛2009年入学

 「つよし」でなく「たけし」。明治きっての行動派であり、飲み会コールの達人である。将棋人らしくない見た目や言動とは裏腹に、内に将棋に対する熱い思いを秘めている。1年秋のB1団体戦では、他が不調の中一人6戦全勝を成し遂げた。それ以降はなかなか実力を発揮できなかったものの、4年の団体戦はスーパーサブとして活躍し意地を見せた。

山岸篤史2009年入学

 入部当初はほぼ初心者の棋力だったが、何度負けても挑戦し続ける貪欲な向上心を武器に、1年も経たずに有段者レベルに到達した。3年春の団体戦では、あて馬として出場したはずが、慶応大の強豪に(しかも普段指さない居飛車で)圧勝してしまった。この貴重な勝利でチームも4-3勝ち、A級残留に大きく貢献することとなった。また、幹事長としても部を統率し、後輩からも愛され(≒イジられ)ている。
 現在は、チーム桜上水of Meijiの主将として活躍している。

吉田貫人2009年入学

 初心者として入部した当初はノーマル四間一本だったが、1年ほどで行きづまり、最終的には角交換振り飛車の専門家となった。緻密な序中盤で優位を築くも、驚異的な終盤力で最後までギャラリーを飽きさせないエンターテイナーである。「将棋を通じて笑いとスリルを届ける」部内組織、「サーセンズ」の初代会長として古新戦で活躍。後輩の育成に尽力しつつ、自身のスリリングな終盤も徐々に安定させた。
 就職してい以来、だんだんと職場が東京から離れているにも関わらず、社団戦に遠征してチームに貢献している。

牟田祐輔2009年入学

 通称M夫。M男ではない。2次元への愛は非常に深く、かわいい顔とファッションセンスを持ちながら、それを3次元の女性にアピールする気はないようだ。1年時は幽霊部員気味だったが、2年以降は急激に参加するようになった。ゴキゲン中飛車と左穴熊を得意とし、合宿では小原を破る健闘を見せた。吉田と共にサーセンズの創成期を支えた人物の一人。
 卒業後は、明治SAKIURAの主将として、50代から10代までという難しい面々の出場機会を調整しつつ、ポイントゲッターとして活躍している。2019年団体個人戦では優勝した。

渡辺賢人2009年入学・関東個人戦3位 学生名人戦2年連続出場など

 普段の発言さえまともであれば、後輩の尊敬を集めるべき実績の持ち主である。特に個人戦での活躍が目覚ましく、2年春ベスト16、秋ベスト8、さらに3年春の準々決勝では先輩の大岩と直接対決を制し、3位という成績を残す。また団体戦でも、2年秋に明治を久々のA級復帰に導き、3年秋には5年ぶりの選抜トーナメント決勝進出を実現、異例の2年連続主将としてチームを牽引した。
 卒業後は、大岩からオール明治の主将を引き継いだ。

森住恭行2009年入学

 同期の小原・吉田と並ぶ「生田革命世代」の中心であり、入学当初から団体戦にも出場。3年春、チーム全員にとって初のA級、皆降級の恐怖に怯えていた中一人冷静に5−2の好成績を挙げた。棋力だけでなく、会計、掲示板の管理、棋譜の集計、他大の戦力分析など、多岐にわたる仕事ぶりで歴代主将を支えた。

田中聡一郎2010年入学・アマ王将位代表・東日本大会準優勝 関東オール学生4位など

 2年春、3年春と連続で個人戦ベスト16に進むも、団体戦での不調により惜しくも学生名人戦出場はならなかった。しかしその悔しさを晴らすかのように、3年夏の東日本大会の個人戦で準優勝。引退の覚悟で臨んだ4年時は並々ならぬ気迫で戦い、東大、立命館の強豪を次々と破った。1年から4年まで終始エースとしての重責を担っていたが、普段から真剣に将棋へ取り組むその姿は、努力の面でもエースであることを体現していた。

濱本昇2010年入学

 1年時は棋力の割に存在感が薄く、目立った活躍もなかったが、2年春の団体戦で突如覚醒、3戦全勝でA級残留に大きく貢献。秋の選抜でも超強豪を破り、一躍ダークホースとして他大にも知られるようになった。また本人の口からはあまり話されないものの、女性関係でもいろいろと逸話があるようだ。卒業後も院生として、古新戦での活躍が期待される。

浅井裕貴2010年入学

 1年冬・2年夏と合宿係を務め、その際の独特な事務連絡方法により「怖」との異名を持つようになった。寡黙であるが、将棋に対しては熱い思いを秘めており、部内掲示板で局面の見解を求めることもしばしばあった。端正な顔立ちと美声で歌うヒルクライムは一度聞く価値がある。

大滝翼2010年入学

 入学当初から、二次元力・幹事長力の両面で山岸の後継者として期待されていた。非常に攻撃的な棋風の振り飛車党で、持ち前の勢いで強豪を攻め倒すこともしばしば、古新戦でも毎回好成績を収めていた。また幹事長を二年間務め、飲み会・(男だけの)クリスマス会などの各種企画を積極的に開催した。

田村智也2010年入学

 昨今のネットでのブームにより、群馬県出身であるという理由だけで「グンマー」と呼ばれていた。会計として堅実に仕事をこなし、また将研随一の癒し系としてどの年代からも好かれていた。一方非常に悲観的な対局観を持っており、相手が投了しそうな勝勢の局面で突如自分が投了する、「光速の投了」は皆を幾度となく驚愕させた。

大竹智之2010年入学

 2年から入部。あまり自己主張はしないものの、アニメに関する知識量など地味な存在感で部員を惹き付けていた。3年時は部誌係を務め、文学部らしく洗練された部誌を完成させた。先輩の吉田や同期の田村がノーマル四間を放棄する中、こだわりを持って使い続ける姿が印象的であった。

川村卓史2010年入学・朝日アマ名人・赤旗名人戦北海道代表など

 同期の田中と共にエースとして期待され入部、1年春団体戦はB1で7戦全勝という鮮烈なデビューを果たす。続く秋も7連勝、悲願のA級昇級に大きく貢献した。3年次は主将に就任、明治を久々の東日本大会出場へと導いた。タイトル3期のA級棋士、新鋭の四段に平手で勝ったことがある一方、不安定な終盤力にも定評がある。

高橋風太2011年入学

 1年から古新戦のエースとして活躍、特に東大戦で震えながらも見事勝ち切ったことは記憶新しい。一方飲み会でもいろんな意味で活躍した。矢倉や振り飛車など様々な戦型を指しこなすが、一番の得意戦法は世界で彼しか指せない三間飛車(さんけんひしゃ)。部誌に本人の解説があるので一読されたい。

近藤建2011年入学

 将研きっての常識人。1年の冬合宿では病人が出るという緊急事態の中、素晴らしい対応力を発揮した。一方、真面目さが過ぎるあまり「マジレス」という異名を持ち、マジレスな言動で数々の伝説を残した。感想戦のマジレス発言で、対局中の大竹を爆笑させ、結果逆転負けに導いたことも。卒業後も参加率が高そうなので、今後も活躍が期待される。

岩瀬祥瑚2011年入学

 現役奨励会員として入部、1年秋に退会後早速団体戦に出場し、チーム最高の5-2という成績を収める。3年次は主将として、苦しいチーム事情の中なんとかA級残留へ導いた。苦しい将棋を延々と粘り続けるのが特徴で、奇跡的な勝利で周囲を幾度となく感動させている。飲み会の酒豪(アルハラ)っぷりとB'z愛でも有名。

多久島明一孝2011年入学

 出現率はそれほど高くなかったが、その穏やかな(ドMな)人柄から皆に好かれ、多久島邸はたまり場となっていた。真面目そうな外見・高い声とは裏腹に、ワイルドな単位取得状況にも定評がある。最近はレアキャラ化しつつあるが、皆がもっと来てほしいと思っていることだろう。